行間の記録

ひとり読みに挑戦中の年長さん「ひばり」と、活字中毒の母「くるみ」の読書の記録。

ナチは正しいと信じていた - 若い兵士のとき/ハンス・ペーター・リヒター

ナチ政権下ドイツの回想録。ナチの教育を受け、それが正しいと思って育った著者が、17歳で志願・入隊し、20歳で終戦を迎えるまでのことが綴られています。

概要

あのころはフリードリヒがいた」「ぼくたちもそこにいた」に続く、ハンス・ペーター・リヒター自身の経験を記した自伝的3部作の3作目。

 

前作では、1934年、9歳でヒトラーユーゲントに入り、1943年に17歳で戦地に送られるまでが描かれていました。

本作では少し前後して、志願するまでのことから、終戦を迎えるまでのできごとが書かれています。1942年〜1945年、16歳〜19歳あたりだと思われますが、前2作とは異なり、西暦や季節、年齢がはっきりと記されていないため、推測の域を出ません。

 

本作では、ハインツやギュンターなど、特定の立体感を持ったキャラクターは登場せず、「ぼく」の目の前で起きたこと、知り得たこと、通り過ぎていく人々のことが淡々と語られています。ユーモラスに描かれているシーンもありますが、「ぼく」の感情はおおむね抑制的で、前作以上に戦時下の異様な空気を感じ取ることができます。著者の体験記ではありますが、詳細に思い出すことに苦痛があったのかもしれません。

 

軍に志願し、訓練を終えた「ぼく」は前線へ送られますが、戦闘で片腕を失ってしまいます。「ぼく」は除隊を覚悟しますが、なんと士官学校へ行くことに。18歳で軍曹になり、それから将校となったのち、再び戦地へ送られます。父親ほどの年齢の兵卒たちに軍曹どの、将校どのと呼ばれることに戸惑いも見せています。

2度目の戦地で「ぼく」は、(階級が上がったこともありますが、)以前より立ち回りが上手くなっています。「見て見ぬ振り」「本音と建前」を使い分け、戦況をどうにか生き延び、終戦を迎えます。

感想

19歳の将校として終戦を迎えた「ぼく」がこの先どうなったかは書かれていませんが、ヒトラーユーゲントとして育ったこども時代から身につけてきた価値観が、すべてひっくり返されるというのは、どのような体験だったのでしょうか。

大人になってから考えると、19歳など、まだまだこどものように思います。

 

私はリヒターの自伝的3部作を読み終えて「ぼく」に対して、ナチの一員として責めきれないし、時には共感したり、気の毒に思ったりもする複雑な気持ちを持ちました。

「決して開き直っているわけではないが、抗えなかった」という記録が持つ意味を、どのように説明すれば良いのか。

訳者あとがきのこの文がすべてを言い表しているように感じました。

リヒターは自らも加害者として加わったことを率直に告白すると同時に、旗をふって賛成し協力した当時のこどもや若ものへの理解を求めている。権力者に対してはっきりと反対を唱える大人がほとんどいなかったから、ぼくたちはそれが正しいと信じていたのだと。

そして、こどもや若者たちに、二度とこのような体験をさせないように、大人たちは自らを強く律していなければならないと思いました。

 

リヒターの自伝的3部作の1作目

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リヒターの自伝的3部作の2作目

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同時代の、ナチへ抵抗する家族を描いたコルドンのベルリン3部作もおすすめです。

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